赤穂浪士に乾杯 [エッセー]
12月14日は赤穂浪士討ち入りの日。
元禄15年(1703年)12月14日の深夜に、元赤穂藩士大石良雄(大石内蔵助)以下四十七名が旧主君浅野長矩(浅野内匠頭)の仇である高家吉良義央(吉良上野介)の屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した赤穂事件の日です。
12月14日といっても旧暦になおすと1月ですので、きっと寒い日だったのでしょう。芝居や映画では雪が降っていますが、1月なら降ってもおかしくはありませんね。本日も寒い日でしたが、昨夜から降り続いていた雨も午後には上がり、夜にはまん丸い月が出ていました。
当時、江戸庶民達は見事本懐を遂げた赤穂浪士の話しを聞いて、溜飲を下げ大いに喜んだに違いありません。三百年以上たった今でも忠臣蔵の芝居は大人気の演目なのですから。
高家吉良義央の子孫の皆様ごめんなさい、今夜だけは私も四十七士に乾杯させていただきます。
赤穂浪士と満月に乾杯
元禄15年(1703年)12月14日の深夜に、元赤穂藩士大石良雄(大石内蔵助)以下四十七名が旧主君浅野長矩(浅野内匠頭)の仇である高家吉良義央(吉良上野介)の屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した赤穂事件の日です。
12月14日といっても旧暦になおすと1月ですので、きっと寒い日だったのでしょう。芝居や映画では雪が降っていますが、1月なら降ってもおかしくはありませんね。本日も寒い日でしたが、昨夜から降り続いていた雨も午後には上がり、夜にはまん丸い月が出ていました。
当時、江戸庶民達は見事本懐を遂げた赤穂浪士の話しを聞いて、溜飲を下げ大いに喜んだに違いありません。三百年以上たった今でも忠臣蔵の芝居は大人気の演目なのですから。
高家吉良義央の子孫の皆様ごめんなさい、今夜だけは私も四十七士に乾杯させていただきます。
赤穂浪士と満月に乾杯
熱燗を四十七士と十四日 粋田化石
2016-12-14 20:06
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コメント(3)
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私は播州出身なのでよ〜くわかります。田舎者が江戸に出てくるとどれだけ失礼なことをするか。今思い出しただけでも、恥ずかしくて死にたくなります。
by KENT1mg (2016-12-15 19:00)
KENT1mgさま、有難うございます。
そうでした、KENT1mgさまは播州の出身でしたね。
もしかしたら
大石とか浅野とか片岡とか堀部とか大高という名前ではありませんか?
by 粋田化石 (2016-12-15 22:27)
黒田孝高です。冗談です。^^
by KENT1mg (2016-12-15 23:04)