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九月十九日は子規忌・糸瓜忌・獺祭忌 [俳句]

糸瓜忌.jpg


九月十九日は、子規(しき)忌・糸瓜(へちま)忌・獺祭(だっさい)忌(新暦に換算すると今年は十月十九日)です。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規

痰一斗糸瓜の水も間に合わず 正岡子規

をとヽひのへちまの水も取らざりき 正岡子規

正岡子規は死期が迫る中、明治三十五年九月十八日に辞世の句を三句残し、翌十九日に没しました。
その三句はいずれも糸瓜(へちま)の句です。
糸瓜から取れる糸瓜水は、痰(たん)や咳の薬として用いられていましたので、結核を病んでいた子規にとって糸瓜は大変馴染みの深い植物であったわけです。
糸瓜水は、特に十五夜の夜に取れるものが良いと信じられていたそうです。

をとヽひのへちまの水も取らざりき

この句を詠んだ二日前、つまり一昨日の九月十六日が十五夜だったのですね。
畏れ多いのでこれ以上の句の解説はしませんが、いずれも死の恐怖については伝わってこない句です。


雨もまた承知の夜や獺祭忌 粋田化石


【子規忌(しきき)】 糸瓜忌(へちまき) 獺祭忌(だつさいき)
【九月十九日。新聞記者・俳人・歌人・随筆評論家として活躍した、正岡子規(一八六七~一九〇二)の忌日。本名常規(つねのり)、幼名升(のぼる)。愛媛県の松山中学で学んだ後、上京。『獺祭書屋俳話』で俳句の独立を説き、俳句革新に着手、長い病床生活から「墨汁一滴」「病牀(びようしよう)六尺(ろくしやく)」などの主要な作品が生まれた。明治三十五年、東京根岸で没。墓は東京田端(たばた)の大竜寺にある。俳句はもとより短歌に関しても革新的偉業を残した。
[角川 合本俳句歳時記 第四版]


獺祭忌(だっさいき)
《子規が獺祭書屋(だっさいしょおく)主人と号したところから》正岡子規の忌日。9月19日。《季 秋》「うち晴れし淋しさみずや―/万太郎」【大辞泉】

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