芭蕉記念館 [日記]
いつかは行ってみよう、そう思いながら行かない場所。行こうと思えば行けるのに行かない場所というのが幾つかあります。
今回紹介する『江東区芭蕉記念館』もその一つでしたが、重い腰を上げて行ってきました。また、芭蕉記念館について色々と検索するうちに芭蕉稲荷神社があることを知り、そこへも行きました。
江東区芭蕉記念館へは電車・バスを乗り継いで行くより、少し離れた深川江戸資料館までオートバイで行き、そこから徒歩が便利ということが判明しました。
深川江戸資料館まではオートバイで無事に到着。
中川船番所資料館というのは、江戸に入ってくる船出て行く船を見張っていた番所の跡地に建つ資料館です。現在の江東区大島、小名木川と中川が合流する場所にあります。
江戸時代輸送の主力は水運で、深川は掘割が多く水運の街として栄えていたようです。
深川江戸資料館は深川に所縁のものを展示解説してある他に、館内に江戸の町並みを再現してあります。落語大好き、頭の中が江戸時代の粋田化石にはとても楽しい場所です。
楽しい場所なのですが、長くなりそうなので深川江戸資料館についてはまた後ほど紹介します。
深川江戸資料館を出た後、清澄庭園を左に見ながら清洲橋通りを横切ると直ぐに小名木川に架かる橋があります。
橋の袂には二代目中村芝翫宅跡がありました。八代目芝翫を襲名する橋之助さんが違うことでちょっと話題になっている最中だったので、写真に収めてきました。
橋を渡り二つ目の通りを左(西)に入りしばらく歩きます。突き当りまで行き左(南)に数十メートル行った場所に芭蕉稲荷大明神はありました。
グーグルで写真を確認していましたが、実際に行って見ると想像していたよりも小さな稲荷神社でした。
鳥居額には「芭蕉稲荷神社 芭蕉庵史跡」と書かれています。
大正6年(1917年)の高潮の後、もともとあった稲荷神社付近から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、この地を芭蕉庵跡と推定し地元では祠に石蛙を置き芭蕉稲荷として祀っているそうです。
出土した「芭蕉遺愛の石の蛙」は芭蕉記念館に展示してあります。
早速参拝です。
「俳句が上手になりますよう宜しくお願いいたします。」と拝みました。
【身に入む】(季秋)
「身に入む」はもともと体に深くしみ入るように感じることで、感覚的な響きが強い語である。秋のもののあわれや秋冷がしみじみと感じられることをいう。
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
阿吽一対のお狐様はどちらも耳を欠いていました。
長い年月の間に欠けてしまったのでしょうか、博打打ちが欠いて持って行ってしまったのでしょうか。
【狐】(季冬)
狐はイヌ科の哺乳類で、本州・四国・九州には本土狐が棲息する。体色は赤褐色あるいは黄褐色で、いわゆる狐色をしている。尾は太くて長く、口はとがっている。普通、地面に穴を掘り生活する。夜行性で、野兎・野鼠・鳥・果実などを食べる。怜悧(れいり)で、注意深く巧みに獲物を襲い、天敵を避ける。十二月下旬から一月ごろに交尾し、四月ごろ三~五頭の子を産む。北海道には北狐が棲息する。「きつ」は狐の古名で「ね」は美称ともいわれる。
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
小さな境内には石碑が幾つか建っています。
そう思って読まないと読めませんが「ふる池や蛙飛びこむ水の音」の碑もありました。
芭蕉稲荷から北へ少し歩くと芭蕉記念館があります。とうとうやって来ました。建物の横にある小さな木戸が記念館入り口です。
一階には小さな庭園があり、それとなく俳句の札が掛かっていました。
建物の二階と三階が展示室です。
芭蕉の作品、その作風の変化、出来事を年譜通りに並べて解説してありました。
また、芭蕉所縁の人物の書画、短歌、俳句も展示してありました。
芭蕉記念館を裏手に抜けると直ぐに隅田川の堤防です。
堤防伝いに川下(南)へ少し歩くと「江東区芭蕉庵史跡展望庭園」があります。
場所は隅田川と小名木川が合流する丁度角に当たります。
此処にも小さな木戸がありました。
石段を登ると、俳聖松尾芭蕉翁の像が隅田川の方(西)を向いて鎮座しておられました。
長雨の合間で湿度の高い曇った日でしたが、川の傍ということもあって風は少し冷やか。俳聖の像も冷やりと感じました。
金属(かね)
【冷やか】冷ゆ 秋冷(季秋)
秋になって肌に覚える冷気である。
→ 冷たし(冬)
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
展望庭園というだけあって、なかなかの景色の場所です。夜にはライト・アップもされるようです。後から気付いたのですが、芭蕉翁の像は、先ほど紹介した芭蕉稲荷大明神から数十メートル西へ行った場所にありました。
再び十五分ほど歩いて、オートバイを停めてある深川江戸資料館に戻りました。
時は既に午後、空腹です。
深川丼を喰って帰ろうと思いきや、お目当ての深川飯屋には店の外まで行列ができていました。
並ぶのは嫌でしたのでオートバイに乗り帰路につき、途中パーキングエリアで
蕎麦を喰って帰りました。
充実した日を過ごせました。
芭蕉稲荷大明神にも参拝できたし、重い腰を上げて本当に良かったです。
次はついでに参拝するのではなく、芭蕉稲荷神社に直接出かけて参拝しましょう。
「どうか俳句が上手になりますように。」
今回紹介する『江東区芭蕉記念館』もその一つでしたが、重い腰を上げて行ってきました。また、芭蕉記念館について色々と検索するうちに芭蕉稲荷神社があることを知り、そこへも行きました。
江東区芭蕉記念館へは電車・バスを乗り継いで行くより、少し離れた深川江戸資料館までオートバイで行き、そこから徒歩が便利ということが判明しました。
深川江戸資料館まではオートバイで無事に到着。
「深川江戸資料館」「芭蕉記念館」「中川船番所資料館」三館共通入館券
中川船番所資料館というのは、江戸に入ってくる船出て行く船を見張っていた番所の跡地に建つ資料館です。現在の江東区大島、小名木川と中川が合流する場所にあります。
江戸時代輸送の主力は水運で、深川は掘割が多く水運の街として栄えていたようです。
深川江戸資料館は深川に所縁のものを展示解説してある他に、館内に江戸の町並みを再現してあります。落語大好き、頭の中が江戸時代の粋田化石にはとても楽しい場所です。
楽しい場所なのですが、長くなりそうなので深川江戸資料館についてはまた後ほど紹介します。
深川江戸資料館を出た後、清澄庭園を左に見ながら清洲橋通りを横切ると直ぐに小名木川に架かる橋があります。
橋からは東京スカイツリーが見えました
写真の奥(東側)水門の向うが隅田川です
橋の袂には二代目中村芝翫宅跡がありました。八代目芝翫を襲名する橋之助さんが違うことでちょっと話題になっている最中だったので、写真に収めてきました。
橋を渡り二つ目の通りを左(西)に入りしばらく歩きます。突き当りまで行き左(南)に数十メートル行った場所に芭蕉稲荷大明神はありました。
グーグルで写真を確認していましたが、実際に行って見ると想像していたよりも小さな稲荷神社でした。
鳥居額には「芭蕉稲荷神社 芭蕉庵史跡」と書かれています。
向かって祠の右横、石碑の前に小さな蛙が鎮座しています
大正6年(1917年)の高潮の後、もともとあった稲荷神社付近から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、この地を芭蕉庵跡と推定し地元では祠に石蛙を置き芭蕉稲荷として祀っているそうです。
出土した「芭蕉遺愛の石の蛙」は芭蕉記念館に展示してあります。
早速参拝です。
「俳句が上手になりますよう宜しくお願いいたします。」と拝みました。
拝すれば身に入む芭蕉稲荷かな 粋田化石
【身に入む】(季秋)
「身に入む」はもともと体に深くしみ入るように感じることで、感覚的な響きが強い語である。秋のもののあわれや秋冷がしみじみと感じられることをいう。
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
阿吽一対のお狐様はどちらも耳を欠いていました。
長い年月の間に欠けてしまったのでしょうか、博打打ちが欠いて持って行ってしまったのでしょうか。
耳欠けし狐の座る稲荷かな 粋田化石
【狐】(季冬)
狐はイヌ科の哺乳類で、本州・四国・九州には本土狐が棲息する。体色は赤褐色あるいは黄褐色で、いわゆる狐色をしている。尾は太くて長く、口はとがっている。普通、地面に穴を掘り生活する。夜行性で、野兎・野鼠・鳥・果実などを食べる。怜悧(れいり)で、注意深く巧みに獲物を襲い、天敵を避ける。十二月下旬から一月ごろに交尾し、四月ごろ三~五頭の子を産む。北海道には北狐が棲息する。「きつ」は狐の古名で「ね」は美称ともいわれる。
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
小さな境内には石碑が幾つか建っています。
そう思って読まないと読めませんが「ふる池や蛙飛びこむ水の音」の碑もありました。
芭蕉稲荷から北へ少し歩くと芭蕉記念館があります。とうとうやって来ました。建物の横にある小さな木戸が記念館入り口です。
一階には小さな庭園があり、それとなく俳句の札が掛かっていました。
建物の二階と三階が展示室です。
芭蕉の作品、その作風の変化、出来事を年譜通りに並べて解説してありました。
また、芭蕉所縁の人物の書画、短歌、俳句も展示してありました。
芭蕉記念館を裏手に抜けると直ぐに隅田川の堤防です。
川沿いには芭蕉の句碑が沢山ありました
奥に見えているのが清洲橋です
堤防伝いに川下(南)へ少し歩くと「江東区芭蕉庵史跡展望庭園」があります。
場所は隅田川と小名木川が合流する丁度角に当たります。
此処にも小さな木戸がありました。
石段を登ると、俳聖松尾芭蕉翁の像が隅田川の方(西)を向いて鎮座しておられました。
長雨の合間で湿度の高い曇った日でしたが、川の傍ということもあって風は少し冷やか。俳聖の像も冷やりと感じました。
川見詰む金属の俳聖風に冷ゆ 粋田化石
金属(かね)
【冷やか】冷ゆ 秋冷(季秋)
秋になって肌に覚える冷気である。
→ 冷たし(冬)
[角川 合本俳句歳時記 第四版]
展望庭園というだけあって、なかなかの景色の場所です。夜にはライト・アップもされるようです。後から気付いたのですが、芭蕉翁の像は、先ほど紹介した芭蕉稲荷大明神から数十メートル西へ行った場所にありました。
再び十五分ほど歩いて、オートバイを停めてある深川江戸資料館に戻りました。
時は既に午後、空腹です。
深川丼を喰って帰ろうと思いきや、お目当ての深川飯屋には店の外まで行列ができていました。
この日は喰えなかった深川丼
並ぶのは嫌でしたのでオートバイに乗り帰路につき、途中パーキングエリアで
蕎麦を喰って帰りました。
充実した日を過ごせました。
芭蕉稲荷大明神にも参拝できたし、重い腰を上げて本当に良かったです。
次はついでに参拝するのではなく、芭蕉稲荷神社に直接出かけて参拝しましょう。
「どうか俳句が上手になりますように。」
2016-09-16 12:48
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コメント(6)
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詳しく解説されているので、行かなくてすみそうです。><
「耳欠けし・・・」いいですね。私も松尾さんにご挨拶したくなりました。
by KENT1mg (2016-09-18 09:46)
のらくろも芭蕉も住みし川の町
と無季俳句が浮かびました。下町の吟行は5年以上の昔でした
深川丼食べて、葦屋さん見学しました。
by SILENT (2016-09-18 16:01)
KENT1mgさん、有難うございます。
今回は長文になってしまいました。
浅草の吾妻橋の所から隅田川を下る船に乗ると、遠くから芭蕉翁の像を拝むことが出来ます。清洲橋の少し手前です。
深川には富岡八幡宮もあり、ここもなかなか見どころ沢山の場所です。
by 粋田化石 (2016-09-18 21:08)
SILENTさん、有難うございます。
のらくろも芭蕉も住みし川の町
本所深川を十七音で語れる素晴らしい句です。
そういえば、田川水泡氏は本所の方でした。
秋が深まったら、また訪ねようかと考えています。
by 粋田化石 (2016-09-18 21:17)
こんばんは。
コメントありがとうございました。
ブログが見れない?何故でしょうか???
初めて言われました、原因は解りません、m(__)mm(__)m!!!。
又のお越しをお待ちしています。
by cyoko1112 (2016-09-18 21:23)
cyoko1112さん、ありがとうございます。
幸いスマホでは拝見できますので、これからも立ち寄らせていただきます。
by 粋田化石 (2016-09-18 22:48)